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イライラするときに起こる事


プログラムに参加して

「本気で自分と向き合う準備が出来る」って、思った以上に大変なことやなって思った。

ここに来たからって

ゲームのように主人公をコントロールすれば

レベルアップするわけではないんだって肌で感じている。


ここがゴールじゃない

というよりはスタート、スタート地点に近いのかもしれない。

それは

こんこんと沸き起こる「怖れ」に

ただただただただ襲われて

避けたいから

その感情を誤魔化したり

見ないそうにするのは、

とても私達は得意だから。

もしくは

それを感じないように感じないように巧妙に自分を誤魔化す技を

子供の時から身につけたからだ。


例えば自分への怒りを

人のせいにしてすり替える。

これも誤魔化しの一つだ。


「こいつは出来ないやつだな。」

「バカそうだな。」

「何もやらない。出来ないやつだな。」ってそうやってジャッジしている。

そんな時、心に平安なんてものは

全くない。


ただただ自分の中にイライラした感情があり、それに振り回され

そのことに途方にくれるか

目の前にある『しなければならないこと』を

イライラしながらこなすか?!

だけなのだ。


でもそもそも

安心もないイライラした中に自分を

はめ込んでまで

自分が作ったルールをズー~っと、守る必要があるんだろうか?

きっとこんな言葉が聞こえそうだ。


「人として仕事が出来るのは当たり前や。」

「社会人として段取りを踏んで

時間通りに仕事をこなすのは当たり前のことだ。」

「家が片付いていないなんて、気持ち悪くてそんな状態あり得るわけがない。」

正論だろう。

だけれども

イライラした平和のない世界を

一生続けたいのだろうか?

反対の考えがある人にとっては

「そこまでピリピリしてやる必要なんて、ないんじゃないの?」

って言葉が出て来るはずだ。


だけどそれが来るものなら

さらに腹を立てて

「ふざけるな!バカか?それじゃあ、回らないだろうが!」

そんなことが浮かぶか

毒づいているか

態度に出すはずなのだ。

相手はそんなことを言っているわけではないのだ。

「なぜあなたは、幸せであることから遠のきたいのか?」

と言いたいわけ。


だって

自分の守ろうとしているルールがなければ

そもそも人を比較はしないわけで

イライラしようがないのだから。

だから目の前の仕事というよりは

長い目をみて言った言葉なのだ。


さて

イライラするとき

自分は何を守ろうとしているのだろう?

そしてそのルールはどこから来たものなのか?

考えてみたらどうだろう?

というか

私が考えていきたい課題だ。


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